日本の洋酒はじめて物語

日本人の生活に、広く洋酒が普及したのは戦後に入ってから。
経済的にも成長し、人々の暮らしに余裕が出てきたのと時を同じくして、BARや家庭でも洋酒を楽しむようになりました。
しかし歴史を紐解けば、日本の洋酒の幕開けはさらに早い時代にさかのぼります。
今回は、知っていると誰かに語りたくなる、日本の洋酒初めて物語をご紹介します。

1.岩倉具視とオールドパー

明治政府の要人であった岩倉具視。欧米使節団として欧米諸国を巡り、時代の最先端を目の当たりにした彼が、日本に持ち帰ったお酒がオールドパーでした。
オールドパーはブレンデッドスコッチで、四角いボトルが特徴。名前は152歳まで生きたとされるトーマス・パーに由来しており、ラベルにもトーマス・パーが描かれています。
オールドパーは吉田茂や田中角栄といった戦後の首相たちにも愛飲され、戦後政治の保守本流のど真ん中に鎮座する酒とも表現されます。
このオールドパー。四角いボトルゆえ、角を視点にして斜めにしても倒れずに立つという特性があります。そこから「どんなに斜めになっても倒れない」と、経営者からも人気です。
ただボトルを斜めにするのは非常に楽しく挑戦のしがいもありますが、くれぐれもBARで勝手にやらないようにご注意ください。

2.意外な日本最初のジン

日本で最初に作られた洋酒系の蒸留酒は何だと思いますか?
ウイスキーと思いがちかもしれませんが、実はジンはそれよりもはるか昔につくられていました。
それは江戸時代のこと出島のオランダ商館長だったヘンドリック・ドゥーフが、本国からの補給が途絶え、お酒を含む日用品が不足しました。
困惑するドゥーフを何とか助けようと、長崎奉行所の目付であった茂伝之進が奔走。様々な情報を収集しジンを蒸留したのでした。
蒸留技術自体は当時九州で既に焼酎が作られていたため、それほど困難な作業ではなかったようですが、味の方はかなり苦労した模様。
ジン独特の香りを生み出すジェニパーベリーの香りを、どうやったらば洗練した香りに出来るのかまではわからなかったようです。
ドゥーフも自身の回顧録の中で、その点について言及し風味が違うことに落胆した様子がわかります。
しかし同時に、限られた知識と材料のなかで必死に奔走し、自らのためにジンを蒸留した事への、最大級の謝意も示しています。
商用ではありませんが、日本人初となるジン生産者は茂伝之進といえるでしょう。

3.輸入洋酒の最古参は?

日本が開国して以降、様々な商品が日本に輸入されるようになりました。
洋酒も・・・といいたいところですが、本格的な輸入は明治時代に入ってからとなります。
そんななかで、最も初期から輸入されていたのがヘネシー。今でも多くの方が知っているコニャック(ブランデー)です。
明治四年に横浜の貿易商社が輸入をスタートさせ、富裕層を中心に人気となりました。
時代背景から考え、散切り頭や牛鍋などと同じく、洋酒は富裕層にとっての文明開化の象徴だったのかもしれません。
当時のヘネシーは「金斧」や「金マサカリ」という呼び方もされていました。これはヘネシーのボトルにある図柄のこと。さらにいえばこの図柄は、ヘネシー家の家紋なのです。
明治時代の思想家・中江兆民の著書「三酔人経綸問答」のなかにも、来訪者が持参するお酒として「金斧」が登場しています。

4.日本初のカクテルコンペは?

バーテンダーたちが、自らのレシピと技術を競い合うカクテルコンペ。チャンピオンを目指し、日々技術を磨くコンペ派のバーテンダーも少なくありません。
さて日本での最初のカクテルコンペはいつでしょうか?
雑誌媒体での投稿企画によるコンテストは戦前からあったようですが、現在のスタイルのものは戦後になってからです。
1950年に日本バーテンダー協会が主催したオールジャパン・ドリンクス・コンクールが日本初のカクテルコンペです。
ちなみにこの時の優勝作品が、現在でもスタンダードカクテルとして名を残る「青い珊瑚礁」でした。

日本の洋酒の歴史についてまとめました。このような話は、お酒の席ではいい話題となります。
是非とも頭の片隅において、お酒を楽しんでください。

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