「天国に一番近い島」ニューカレドニアの暗黒史!?

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南太平洋のメラネシアに浮かぶニューカレドニア島は、「天国に一番近い島」のキャッチフレーズで知られている世界的に有名な観光地です。しかしこの島にはもう一つの顔があります。それはフランスによる暴力的な植民地支配という、楽園イメージとは真反対の、暗く過酷な歴史です

ニューカレドニアの簡単な説明!

ニューカレドニアは、南太平洋のメラネシアにあるフランスの海外領土で、グランドテール(本土)およびロワイヨテ(ロイヤルティ)諸島から成ります。

ニューカレドニアは高温多湿の熱帯気候です。世界遺産にも登録されているサンゴ礁や、豊かな熱帯雨林などの観光資源が豊富で、欧米のみならず日本からも多くの観光客が訪れる一大リゾート地になっています。またニッケルの世界的産地でもあり、それがもたらす富が、ニューカレドニアの経済を支えています。

少数のヨーロッパ系がエリート層を独占!?

ニューカレドニアの人口は、2009年の統計で245,580人です。内訳は、先住民のカナクが約40%、ヨーロッパ系が約29 %、アジア系が約19%、ニューカレドニア以外のオセアニア系が約12%です。ニューカレドニアは多民族社会なのです。

人口構成は社会階層と結びついています。人口比では少数派のヨーロッパ系移民が、大企業のオーナーや管理職、行政の要職といったエリート層をほぼ独占しています。同じく少数派のアジア系移民はサラリーマンや小規模店の経営者といった中間層を占めており、人口比で多数派を占めるカナクは、その大多数が非熟練労働に従事したり無職だったりと、社会階層の底辺を成しています。つまりニューカレドニアでは、少数派であるヨーロッパ系移民やアジア系移民が、多数派のカナクを政治的にも経済的にも支配しているのです。このある種の「階級」的な構造は、植民地支配の歴史と深い関わりを持っています。

そもそも先住民カナクとは?

ニューカレドニアに人類が住み始めたのはかなり古く、およそ1万年前に描かれたと思われる壁画が残っています。しかしカナクの直接の祖先であるラピタ人は、3,500年ほど前にニューカレドニアにやって来たと考えられています。ラピタ人は高度な航海術や農業、土器作りなどの文化を有しており、ニューギニアを除くメラネシア人やポリネシア人の祖先となった人々です。
カナクの共同体社会は「クラン」(clan、氏族)を基本単位にしており、いくつかのクランが集まって「トリビュ」(tribu、集団)を構成していました。それぞれのトリビュは首長によって統率されていましたが、その権限には違いがありました。例えばグランドテールでは首長権限は穏やかでしたが、ロワイヨテ諸島では首長権限は強いものでした。

ヨーロッパの奴隷狩り「ブラックバーディング」

ヨーロッパ人で初めてニューカレドニアにやって来たのは、イギリス人のジェームズ・クックです。その後、ヨーロッパ人の来訪が相次ぎました。帝国主義が勃興した19世紀半ば頃には、ヨーロッパ人による「ブラックバーディング」と呼ばれる奴隷狩りが横行するようになりました。奴隷狩りに加えて、ヨーロッパから持ち込まれた疫病が蔓延したこともあって、人口は極端に減少し、カナクの文化や社会は荒廃しました。さらに、キリスト教宣教師による強引な布教により、多くの慣習が根絶やしにされました。

絶望の時代

1853年、フランスはニューカレドニアの領有を宣言しました。プランテーションの労働力として、フランスから2万人に及ぶ流刑囚がニューカレドニアに送られました。またニッケルが発見されると、鉱山の労働力としてインドネシアやベトナムや日本などのアジア人移民が導入されました。フランスの植民地支配の「手先」としてやって来たこれらの移住者が、現在のニューカレドニアの支配階層となっているのです。

フランスによるカナク統治は、アメリカの対インディアン政策や南アフリカのアパルトヘイトにも比べられるほど苛烈なものでした。カナクの土地の9割以上が接収され、カナクは辺境へと追いやられました。

フランスの抑圧的な支配に業を煮やしたカナクの首長アタイは、1878年に反乱を起こしました。この反乱にはグランドテールの人口の1/3に当たるカナクが加わりましたが、フランス軍の近代兵器の前に敗れてしまいました。反乱の指導者は全て死刑ないし流刑に処されましたこうして、あらゆるものを奪われたカナクは主体性を失い、貧しい被支配者となっていったのです。

カナクの独立闘争

第二次世界大戦後は、フランスへの同化政策が取られるようになりました。カナクに対して、フランス語を用いたフランス式の教育を行ったのです。しかし皮肉にも、1960年代になると、フランス式教育を受けたカナクたちが、土地返還や文化の尊重を掲げて抗議運動を展開するようになりました。この運動は1970年代に独立運動へと発展し、独立に反対するヨーロッパ系住民やフランス政府と激しく対立しました。

1980年代に入ると、独立派はゲリラとなって武力闘争を開始し、反独立派はテロによって独立派指導者を殺害していきました。最大の危機は、1988年4月22日に起こりました。独立派が27人のフランス国家憲兵隊員と1人の裁判官を人質に取ってロワイヨテ諸島ウヴェア島の洞窟に監禁し、4人を殺害したのです。この事件は翌5月、フランスの海軍や憲兵隊の特殊部隊が洞窟に突入し、独立派11人を殺害して決着しました。

和解そして今後

独立派と反独立派の血で血を洗う抗争は、1988年にフランスがニューカレドニアの自治権を認めたことで終結しました。10年後の1998年にはヌーメア協定が結ばれました。この協定では、外交、軍事、通貨発行以外の権限を自治政府が掌握することで合意したうえ、2014年から2018年にかけてのいずれかのタイミングで、独立かフランス残留かを問う住民投票を実施すると約束されました。

近日中に行われるであろう独立の是非については、なかなか微妙なところです。被支配層であるカナクのほとんどは独立に賛成なのですが、支配層であるヨーロッパ系住民やアジア系住民は独立に反対しています。また、カナクの中でも留学するなどして外部世界の状況を知っている人々、つまりエリート層も独立には慎重です。

むしろ現在のニューカレドニアは、独立と同化のどちらでもない「独立なき脱植民地化」を目指しているようです。これが成功するかどうかは、社会の最下層を成しているカナクが主体的に社会参加できる環境を、どうやって整備していくかにかかっていると言えるでしょう。

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