サイエンス!サツマイモの遥かなる旅

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昔から日本で親しまれているサツマイモですが、その原産地が中南米であることは、意外と知られていません。ではサツマイモはいつ、どのように日本に伝わったのでしょうか?

サツマイモの原産地

サツマイモは、ヒルガオ科サツマイモ属のつる性多年草で、原産地は中南米と言われています。サツマイモの考古学的資料が最も豊富に出てくるのはペルーです。ペルー海岸部のチルカ谷遺跡から発掘された炭化したサツマイモの根は、紀元前8,000年~10,000年頃のものと推定されています。また紀元前1,000年~1,300年頃の遺跡からは、サツマイモの根や葉や花のほか、サツマイモをモチーフにした土器が多数発見されています。さらに、13~15世紀にペルーを中心に栄えたインカ帝国でも、サツマイモはかなり重要な作物として栽培されていたようです。

サツマイモの伝播ルート

考古学や言語学の知見によれば、サツマイモは原産地の中南米から3つのルートで世界中に広まったと考えられています。すなわちバタータス・ルート、カモテ・ルート、クマラ・ルートの3つです。

バタータス・ルート

バタータス・ルートは、1492年のコロンブスのアメリカ大陸到達以降に、西インド諸島からスペインを経てヨーロッパ、アフリカ、インド、東南アジアへと伝播し、そこからさらにニューギニアや中国へ達したルートです。西インド諸島ではサツマイモのことを「バタータス」と呼んでおり、このルートの上にある地域では、「パタト」「ウバタタ」(アフリカ)、「バタタ」「パタタス」(東南アジア)、「ブテテ」「ポテテ」(ニューギニア)など、バタータスに由来する名称が広がっています。
なお英語では、ジャガイモのことを「ポテト」と言いますが、これはもともとサツマイモの名称だったのが、同じくアメリカ大陸からもたらされたジャガイモの普及により、いつの間にかジャガイモの名称となったものと考えられています。

カモテ・ルート

カモテ・ルートは、16世紀以降にメキシコからグアムを経てフィリピンに達したルートです。このルートは、スペインがガレオン船を用いてメキシコのアカプルコとフィリピンのマニラとの間で行なった、太平洋貿易の経路と全く同じです。メキシコではサツマイモのことを「カモテ」と呼んでおり、このルートの上にある地域では、「カムティ」(グアムやサイパン)、「カムート」(ヤップ)、「カモテ」(フィリピン)など、カモテによく似た名称が広がっています。

クマラ・ルート

バタータス・ルートもカモテ・ルートも、大航海時代の雄であるスペインが深くかかわっていますが、クマラ・ルートだけは違います。このルートは、有史以前にペルーからマルケサス諸島を経てイースター島、ニュージーランド、ハワイなどの東ポリネシアに伝播し、そこからさらに西ポリネシア、メラネシアを経て中央ミクロネシアやニューギニアに達したルートです。ペルーではサツマイモのことを「クマラ」と呼んでおり、このルートの上にある地域では、「クマア」(マルケサス諸島)、「ウアラ」(ハワイ)、「クマラ」(ニュージーランド)、「ウマラ」(サモア)、「クマル」(中央ミクロネシア)、「クマラ」(ニューギニア)など、クマラから派生した名称が広がっています。
このルートが興味深いのは、ヨーロッパ人がやって来るはるか昔に、南太平洋の大海原をサツマイモが伝播しているという点です。オセアニアの人々は卓越した遠洋航海術を持っていて、カヌーを使ってニューギニア沿岸部からフィジー、サモアを経てマルケサス諸島に移住し、そこからさらにハワイやイースター島やニュージーランドへと移り住んでいったことがわかっています。おそらくその一部が南米大陸にまで到達し、サツマイモを島へと持ち帰ったのではと考えられています。

中国、琉球への伝播

中国にサツマイモが伝えられたのは1570年頃と推定されています。現在の福建省の陳振竜という人が、ガレオン船貿易の拠点となっていたフィリピンからサツマイモの苗を持ち帰り、栽培したのが始まりとされています。1594年に大飢饉があったとき、陳振竜の弟の陳経倫がサツマイモを役人に献上してその効用を説いたところ、役人はただちに民衆にサツマイモを作るよう命じ、飢饉とその後の窮乏を切り抜けることができたそうです。これを機に、サツマイモは中国南部に急速に広まりました。
琉球(沖縄)にサツマイモが伝わったのは16世紀末から17世紀初めです。1597年、琉球王国の統治下にあった宮古島の役人が中国に漂着し、そこからサツマイモの苗を持ち帰って島内に広めました。ただしこの時は、島外に広まらずに終わったようです。1605年には、野国(ぬぐん)総管がやはり中国から沖縄本島へとサツマイモを持ち帰りました。このとき伝えられたサツマイモは、15年ほどで琉球王国全体に広がりました。

日本への伝播

日本の本土にサツマイモが伝えられたのは17世紀初めです。「サツマイモ」の名が示す通り、本土では薩摩に最も早く伝えられたのですが、その時期やルートは複数あるようです。例えば1609年、薩摩藩主の島津家久が琉球王国を藩の支配下に置いてすぐに、琉球から薩摩へとサツマイモが伝わった可能性が指摘されています。また1612年頃には、薩摩の坊津に、フィリピンからポルトガルの交易船によってサツマイモがもたらされたという話もあります。いずれにせよ、17世紀の中頃には、薩摩でかなりの量のサツマイモが作られていたと思われます。
サツマイモの日本各地への伝播は薩摩が拠点となりました。薩摩から紀伊(1615年)、瀬戸内(1713年)、京都(1716年)などへと伝えられ、1734年には青木昆陽の手で江戸へと伝えられました。その後、享保の飢饉(1732年)、天明の飢饉(1782年)、天保の飢饉(1832~33年)と続く中で、サツマイモは救荒作物としての真価が認められ、北海道と東北北部を除く日本全土へと広まっていきました。

サツマイモの現在と未来

サツマイモの伝播の歴史を紐解いていくと、日本は世界で最も遅くサツマイモが伝わった地の一つであることがわかります。とはいえ、サツマイモが日本に伝来してからすでに400年以上が経過しており、今では私たちの食生活にしっかり根付いています。
日本のサツマイモ生産量はこのところ減少の一途をたどっていますが、生産性や栄養価が高いことから、最近ではサツマイモ食が見直されつつあります。さらには、蔓や葉を野菜として利用できる品種や観賞用の品種など、新たな用途に応じた品種が作られています。こうした取り組みによって、サツマイモの可能性はもっと広がっていくように思います。

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