恋愛国家ハワイ!恋愛から交易へ、そして崩壊?

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「性愛が文化変容をもたらす」と言ってみても、日本に住む私たちには何のことかピンときません。なぜなら日本では、性愛は社会的に大した重要性を持たないからです。ところが世界には、性愛が文化変容の原動力となった地域があります。それはハワイです。

「恋愛国家」ハワイ

西洋との接触以前、ハワイでは性は大変おおらかなものでした。若い頃から自由な恋愛に親しみ、それは大人になっても続きました。結婚と離婚は幾度となく繰り返され、一夫多妻や一妻多夫も日常的に行われていました。そのような社会でしたから、家族やその他の親族集団のメンバーシップは、とても流動的でした。
性はある種の神聖さも帯びていました。ハワイの創世神話によれば、光り輝く空の神ワケアは自分の娘と性関係を結び、その結果、最初にタロイモが生まれ、次に王族や首長の祖先が生まれました。この神話に倣うかのように、神の子孫である王族や首長は、男女を問わず、近親相姦的な性関係を次々と結び、自らの聖なる力=マナを高めていきました。
平民たちにとっても、身分の高い相手と性関係を結ぶことは、マナを自分のものにできるチャンスでした。平民の女には、夫を持つ前に首長と性関係を持つ「特権」がありました。その結果として子供ができるのは、女の家族や夫にとってめでたいことでした。なぜなら、首長のマナを受け継いだ子を、自分たちの家族にすることができたからです。
このように、ハワイでは性愛が社会的に極めて重要な意味を持っていました。その様はまるで、「恋愛国家」とでも呼び得るようなものだったのです。

聖なる存在としての西洋人

1778年12月、クック一行が西洋人として初めてハワイを訪れたとき、ハワイの女たちは溢れんばかりのレア=情熱を込めて、船員たちを誘惑しました。航海日誌にはこう記されています。「(女たちは)あらゆる手を使って我々を家に誘惑しようとし、(水夫たちが)その手に乗らないことがわかると、無理にでも引きずり込もうとするし、あんまりしつこいので、しまいまで拒絶することはできなかった」。
この熱烈な誘惑の背後には、ハワイの文化的世界観がありました。ハワイの人たちは、クックこそが新年の神ロノであり、土地の豊穣を更新するために年一度の帰還を果たした、と考えたのです。そしてハワイの女たちは、船員たちがマナに満ちた聖なる存在だと思って、性関係を結ぼうとしたのです。

「愛」から「売春」へ

しかし船員たちは、そのようなことを知る由もありませんでした。船員たちは、ハワイの女たちの熱烈な性的アプローチを「愛」だと解釈したのです。航海日誌にはこう記されています。「(女たちは)われわれとの性行に利害ある動機をほとんどもっていなかった。……何かを与えようが与えまいが、彼女らは暴力をふるわんばかりにして抱擁へと導いたから」。
しかしやがて、船員たちは「愛」を「売春」に変えてしまいます。性関係を結んだ女たちに、性的「サービス」の「対価」として、ビーズの腕輪や鏡を贈るようになったのです。

「神の贈り物」から「交易」へ

ハワイの人たちにとって、聖なる存在と性関係を持ってマナを得ることは、とても喜ばしいことでした。また船員たちがくれた贈り物は、それまでハワイにはなかった、マナに満ちた品々でした。ハワイの人たちは、神からの贈り物を得ようと熱狂しました。男たちは、自分の姉妹や娘や妻を船員の下へと連れていきました。船員たちは、女たちには腕輪や鏡を与え、女を連れてきた男たちには鉄斧を与えました。
これと並行して、ハワイの男たちと船員たちとの間で、食糧取引が行われるようになりました。交換レートは豚1頭に対して、鉄斧3本あるいは腕輪1つと鉄斧1本でした。食料取引の出現はとても重要でした。なぜなら、「神の贈り物」であった腕輪や鉄製品が、「交易」によって手に入るようになったからです。
こうしてハワイの人たちと船員との関係は、「売春」から「交易」へと次第に変化していきました。

聖性の喪失

ハワイの人たちの間に交易への関心が育っていくなか、ハワイの王族や首長たちは、交易を独占しようとしました。船員との交易にタブーを掛けたのです。
ハワイでは、マナを持たない平民が、マナを持つ王族や首長と気安く関わるのはタブーでした。親族集団や家系が流動的であったハワイにおいて、王族や首長と平民との間を分け隔てたのは、タブーだったのです。王族や首長たちはこの考え方を交易にも当てはめて、平民たちが交易に関わることを禁止しようとしたのです。
しかし平民たちにとって、船員との交易はあまりに魅力的でした。平民たちはタブーを冒して盛んに交易を行いました。タブー破りが常態化してしまったことで、マナの概念も次第に意味を失っていきました。そして1819年、カメハメハ2世王の摂政だった継母のカアフマヌが、タブーの廃止を宣言しました。これによって、マナとタブーの概念はハワイの文化から永久に姿を消したのです。

「恋愛国家」の崩壊

ハワイの文化変容の原動力となった性愛ですが、それに痛烈な打撃を与えたのはキリスト教でした。1920年、アメリカのプロテスタント宣教師が相次いでハワイにやってきました。宣教師たちは、ハワイの大らかな性のあり方を「神への冒涜である」と否定し、代わりにキリスト教的な貞操観念をハワイの人たちに植え付けようとしました。各地で反対運動が起きましたが、プロテスタントに改宗して宣教師の後ろ盾となっていたカアフマヌは、これを武力で鎮圧しました。
ハワイの人たちの間にキリスト教が次第に広まるにつれ、性の大らかさは失われていきました。ハワイ王国が滅亡するのは1893年ですが、それより前に、「恋愛国家」としてのハワイは崩壊していたのです。

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