「神」となった男!?クック船長−ハワイと西洋との出会い

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太平洋に浮かぶハワイは、観光地としてとても有名です。青い空、白い砂浜そしてフラダンス。ハワイはまさに、「楽園」と呼ぶにふさわしいイメージで満ちています。しかしそうしたイメージとは裏腹に、今から200年あまり前に始まったハワイと西洋世界との関わりは、血生臭くも崇高なある出来事によって幕を開けたのです。

クック船長

ハワイを初めて訪れた西洋人は、イギリス人のジェームズ・クックです。2度の世界一周を成功させた彼は、ハワイ訪問以前に、ニュージーランド、オーストラリア、タヒチ、トンガ、イースター島、ニューカレドニア、ヴァヌアツなど、南太平洋の数多くの島々を訪問していました。

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1778年、3度目の航海に出たクック一行が初めてハワイにやってくると、島の人たちは一行を熱烈に歓迎しました。翌1779年、一度出航したクック一行は、船のマストが折れるというハプニングに見舞われ、修理のためにすぐハワイに戻ってきました。これを知った島の人たちは、クック一行に対する敵意をむき出しにし、テントを襲撃したりボートを盗んだりしました。

怒ったクックはハワイの王を人質にしようとしましたが、逆に王の手の者に返り討ちに遭い、殺されてしまいました。

 

マカヒキ

このように書くと、ハワイの人たちは気まぐれで行き当たりばったり、わけもなく人の物を盗んだり人を殺したりする、暴力的な野蛮人であるように思えます。ところがハワイの文化的世界観から見れば、ハワイの人たちの一見気まぐれな行動が、実はそうではなかったことがわかります。

それを解く鍵は、「マカヒキ」という季節に行われる儀礼にあります。マカヒキは、スバル(プレアデス星団)が日暮れに水平線に現れる10〜11月から4か月ほど続きます。普段は戦争と征服の神クーと、その化身である王が島を支配しますが、マカヒキの時期は平和と豊穣の神ロノが島を支配します。その間、クー神の神殿は閉じられ、王は隠遁生活に入ります。

マカヒキの儀礼は、ロノ神の像の出現によって幕を開けます。神像は帆を掲げながら、右回りに島を行進します。神像がやって来ると、人々は供物を捧げ、ロノ神による支配を受け入れます。ロノ神の像は1カ月ほどかけて島を一周して戻ってくるのですが、この時、隠遁生活を終えた王が、配下の者を連れて海に出てロノ神像を迎え撃ち、儀礼的な戦いが行われます。王はこの戦いに勝利してロノ神の神性を奪い取り、征服者クー神として再生します。役割を終えたロノ神像は、海に流されます。これによってロノ神が支配するマカヒキの季節は終わり、再びクー神とその化身である王の季節となるのです。

 

ロノ神としてのクック

imasia_3598983_S1778年12月2日、クック一行を乗せた帆船がハワイ島北西海岸沖に到達し、島を右周りに巡航しました。それはちょうど、ロノ神像の巡行が半ばに差し掛かる頃でした。翌1779年1月17日、クック一行はケアラケクア湾に投錨しましたが、この湾は、神像の行進の開始・終了地点でした。帆を掲げて右回りに巡航するクック一行の船は、儀礼におけるロノ神の巡行そのものだったのです。

ハワイの人たちは、儀礼的存在であったロノ神が実際に現れたと歓喜しました。豊穣の神ロノ神を祀る司祭は、クックをロノ神として扱い、たくさんの貢物をしました。征服の神クーの化身である王もまた、クックをロノ神として扱い、たくさんの物を奪おうとしました。しかしクックにしてみれば、そんな事情は知りません。司祭の態度と王の態度がなぜこうも違うのか、まるで理解できませんでした。

 

クック=ロノ神の帰還と死

1779年2月4日、クック一行はハワイを出航しました。2月はちょうどマカヒキが終わる時期に当たります。ハワイの人たちにしてみれば、クックはロノ神として海の彼方に去って行くはずでした。

ところが2月11日、帆のマストが破損したためにクック一行は戻ってきました。ハワイの人たちにとって、ロノ神が戻ってくるのは「あり得ないこと」でした。ハワイの社会は大混乱に陥り、盗みや暴力が続発しました。クック一行のテントが襲撃されたりボートが盗まれたりしたのは、社会的大混乱の中で起きた出来事だったのです。

しかしそのような事情を、クックは知りませんでした。ましてや、ロノ神であるクックが、クー神の化身である王を捕らえることが、ハワイの世界観を根底から破壊することになるなど、わかるはずもありませんでした。混乱のうちに、クックは王の手の者によって殺されました。こうして、クー神がロノ神に勝利するという、マカヒキが体現するハワイの世界観は回復されたのです。

 

「理解の枠組み」としての文化的世界観

ハワイの人たちは、気の向くままに暴力を振るう野蛮人ではありませんでした。ハワイの人たちは、クック一行の来訪という不測の出来事を、自分たちの文化的世界観に基づいて理解しようとしていたのです。ハワイの人たちの世界観から見れば、勝手に島にやってきて、島を去ったと思ったらすぐ戻ってきて、挙げ句の果てに王を捕らえようとしたクックの方こそ、気まぐれで暴力的だったと言えるのです。

異文化に住む人々の、一見気まぐれで暴力的に見える行いを理解するには、その人々の「理解の枠組み」である文化的な世界観や価値観を知ることが必要です。そのことを、ハワイの事例は端的に示しているのです。

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